西野朗は稀代の名将か、それとも愚かなギャンブラーか

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※本ブログは2018年7月1日にはてなブログに投稿されたものです

こんにちは。昼夜逆転している私です。

仕方ないよね、4年に1回だもの。人間だもの。

さて本題です。本日は例の10分間についてです。

決勝T進出

日本代表は先日ポーランドとGS第3戦を戦い、0-1で敗れた。しかしフェアプレーポイントで勝点、得失点差、総得点でならんだセネガルを上回り、見事決勝トーナメント進出を決めた。ところがその戦術を巡り物議が醸されることとなる。

問題となったのはラスト10分。0-1でビハインドの状況ながらセネガルが負けているとの情報が入ると日本代表は後方での無難なボール回しにシフト。すでに敗退の決まっているポーランドも追いかけることはせず、延々とパス回しが行われた。

現地サポーターの大ブーイングをよそに試合はそのまま終了。結局セネガルもコロンビア相手にそのまま0-1で敗れ、警告数で優位に立っていた日本が決勝Tへ駒を進めた。

「あれはありなのか」

「突破には当然の策」

「退屈だった。つまらない」

「これで攻めて敗退、よりは全然マシ」

ネット上では様々な意見が飛び交った・

「サムライとは思えない」

「アキラ・ニシノは勝者だ」

世界中のメディアも様々の論調で報じた。

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(JFAより)指揮に賛否が分かれた西野監督

談合試合

まず大前提として言っておくが、こうしたいわゆる「談合試合」は正直よくあることだ。

例えばフランスメディアは日本に批判的な論調を取ったが、自国フランスもデンマーク戦では決して全力とは言えない戦いをしている。当然相手のデンマークも同様だ。第2戦終了段階で、同組のオーストラリアには第3戦で勝利し、フランスがデンマークを破れば突破の可能性はあった。

しかしフランスvsデンマークは終始無難かつ退屈なスコアレスドローで終了したため、オーストラリアの結果を待たずして両国は仲良く決勝Tへ進んだ。

繰り返すがこの手の談合試合は4チームのうち2チームが勝ちぬけるGSではよくあることであり、(問題ではあるが)今問題にすべきことではない。

確かにフェアプレーの観点やW杯という普段サッカーを見ない人の興味をそぐのでは?という指摘もある。ただ前者に関して言えば4年に1度の大会でフェアプレーと勝負の重みを比べた際の結論を一概には言えないし、後者は決勝Tへ進みもう1試合世界の強豪とのガチンコバトルが見られることを加味すれば±0以上はつくだろう。

ちなみにこのミッションを遂行した選手たちからは当然と言えば当然ではあるが、「これが勝負の世界」と理解を示す声が多い。

何が問題だったのか

したがって談合試合そのものは問題ではないと考える。真の問題はそれが「他力本願のギャンブル」であったことだ。

この試合が0-0の引き分けなら構わない。引き分けなら日本は100%突破できた。しかしラスト10分の状況は極めて不安定だった。セネガルが追い付けば即敗退という状況での現状維持の選択はギャンブルそのものだ。

日本が0-1、イエローカード4枚のスコアで試合を終え、コロンビアがこのままセネガルを0点に抑える可能性とセネガルが同点に追いつく可能性を天秤にかけた。

最も批判が集まっているのはこの点だ。コントロールできる自軍ではなく、他会場のコロンビアの守備力に賭けたのはいかがなものか。また西野監督が大幅なターンオーバーを敷いてきたことも拍車をかけた。主力を出していればまずこんな状況に追い込まれることにすらならなかったのでは?ということだ。

何が正しかったのか

おそらく西野監督としては0-0のスコアレスドローが狙いだったはずだ。根拠はメンバー変更の中、酒井高徳の右SH起用だ。SBが本職の酒井高徳が攻撃的な位置に入った。本田圭佑を筆頭に攻撃的なプレーヤーの方がまだベンチにはいたにもかかわらず、である。ある程度攻撃のオプションは限られてもいいから、主力を休ませ守備に徹するという狙いが見える。

ちなみに私はこのターンオーバーには賛成である。決勝Tを見据えて主力を休ませるというより、一戦一戦走り勝つしかない日本にとっては疲弊した主力よりフレッシュなサブのが(特に引き分けでも可の状況であればなおさら)有効だ。もちろんそれでも昌子源以外のバックラインと柴崎岳の中核は残しており、引き分けという任務遂行をする上で変更不可の部分は残しつつ最大限のターンオーバーを敢行したと見るのが自然だろう。

さらに付け加えるならばそもそもポーランドは圧倒的格上である。今大会はエースのロベルト・レヴァンドフスキが孤立させられ2連敗、早々に大会を去ることが決まったが、本来ならば日本を倒して当然のチームである。

ポーランドはセネガルに競り負け、コロンビアに大敗を喫したが、セネガル戦の失点はアンラッキーなオウンゴールと守備陣の拙い連携ミスによるもの、コロンビア戦はお互い負ければ即敗退の状況下で先制点を取られてからバランスを崩した結果だ。それが実力という指摘も頷けるが、もともと日本が勝つには非常に難しい相手だということは忘れてはならない。

話を戻すと日本は引き分けで十分と監督は考えていたはずだ。ところがセットプレーから1点を奪われこの段階ではグループ3位に転落。その後コロンビアがジェリー・ミナがゴールを挙げ、日本は2位に浮上した。

 おそらく試合前にはこうした状況も想定されていたはずである。その際に現状維持か1点を奪いに行くかの、どちらがプランとして用意されていたかはわからないが、長友佑都が試合後「試合中何度もベンチに確認した」と言っているように、事前に決まってはおらず試合の流れを見ながら決めることになったと見て間違いない。

より深く推測するならば、選んだプランを選手に知らせるためのキーとして機能したのが3枚目の交代枠だ。本田圭佑や香川真司といった攻撃的なカードではなくバランサーの長谷部誠を投入したことでチームは状況を即座に把握し、方針は素早く固まったはずだ。

ではなぜ西野監督は攻撃を諦めたのか。

おそらく日本の攻撃力とコロンビアの守備力を天秤にかけたのではない。真に計ったのは日本の守備力とコロンビアの守備力だ。

日本が攻めればポーランドも当然攻め返してくる。その際に1点取れる可能性はある。今大会ポーランド守備陣は2試合で5失点と安定しているとは言い難く、残り時間が少ないとはいえある程度のリスクを負えばチャンスは作れたはずだ。

しかし攻めなかったのはそれよりもカウンターを恐れたからだ。リトリートした状態ならばレヴァンドフスキも抑えられるだろうがカウンターならばそうもいかない。

西野監督の脳裏をよぎったのは後半8分、カウンターからクロスをあげられ川島が飛び出したシーン、後半29分ペナルティエリア内でレヴァンドフスキに決定的なシュートを打たれたシーンだろう。ポーランドの鋭いカウンターを目の当たりにして現状維持のプランを選ぶしかなかったと考えるのが妥当だ。

もっとシンプルに言えば格上vs格下でどっちが先に点を取るか?と考えれば自ずと答えは見える。そして西野朗はポーランドが十分に格上と判断した。

さらに言えば日本とセネガルの順位を分けていたのが「フェアプレーポイント」であったのも決断を後押しした。わずかに上回っていた日本は同時に戦術的ファールの選択肢も失っていた。カウンターを止めてイエロー、最悪レッドカードにでもなれば一気にセネガルが逆転していた。ポーランドの素早いカウンターを相手にファールで止めることもできない状況で受けるのは危険すぎるという判断だった。

 したがってターンオーバー同様この選択にも賛成である。西野朗は可能性が高い選択をしたと見ている。

ただし今大会のPKの多さやATの長さ及びそこで多くの得点が生まれていること、前者二つにより大会自体の得点数が多いことを考えると、この二者択一の差はわずかだったと言わざるを得ない。

結果論

サッカーのみならずありとあらゆるスポーツは結果論である。この選択から生まれたのは決勝T進出、主力の温存、川島の復調であり手に入れたものは大きい。

失ったものは自他国共通、多少のリスペクトであるが得たものに比べれば小さいのではないか。

過程は大事だが結果はもっと大事である。それがスポーツの、勝負の世界だ。その前提がある以上、セネガルが追い付いたらという話も日本が得点していたらという話も実は同列であるのだ。

そもそも相手があるスポーツゆえに談合試合のようなレアケースを除けば確実に得点できるとも確実に失点するとも言い切れない。ナンセンスだ。

ただしこれで西野監督を名将ともてはやすのは別問題だ。ターンオーバーは必ずしも完璧でなかったし、今大会唯一ポーランドが得点しているセットプレーから失点したこと、致命的なカウンターを何度も浴びたことは考え物だ。それとこれとは分けるべきだ。

稀代の名将と言うにはお粗末な点が目についたし、愚かなギャンブラーと断罪するほど客観的判断ができてなかったわけではない、というのが私の西野評だ。

なにはともあれ日本はベスト16の切符を手に入れた。相手はベルギー。苦しい闘いが予想されるが、負けるにしてもせめて何か得て帰ってきてもらいたい。

もしかしたらその中にはこの10分で失ったものがあるかもしれない。次からはノックアウトラウンド。引き分けはない。「誇りを失った」と言われるサムライが誇りを取り戻すには、相手も舞台も不足はない。

~おしまい~

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