悪魔のごとき幻想。自分たちのサッカーは本当に通用していたのか

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※本ブログは2018年6月10日にはてなブログに投稿されたものです

こんにちは。

いつもと変わらない良い天気ですね。

チェルシーの移籍に動きがないのも変わらないですが。

本日も代表戦についてです。

代表に関しては前に2つほど書いたのでそちらもよかったら。

スイス戦 ●0-2

昨日(6/9)の朝2時からやっていた日本vsスイスの一戦は残念ながら見れず…。まあ0-2か0-3かなと思ってたら、ああってなるだけでした。

スイスはジャガやシャキリといった馴染みのある名前に加え、グーナーとしては移籍が決まったがリヒトシュタイナーも気になるところだった模様

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(アーセナル公式Twitterより)新加入のスイス代表、ステファン・リヒトシュタイナーも日本戦に出場

というわけで今回のスイス戦について語ることは特にない、というより見てないので語れないというのが正確。まあハイライトだけ見たけどこれで(形の上とはいえ)楽観的でいられる西野監督さすがにヤバみが深いのでは。

むしろこれだけのオプティミスティックがあるのだからハリル解任前にとっとと会長になって「え、ハリル?親善試合勝ててないけど行けるでしょ!」とか言って欲しかった。

無論叶わぬ願いだが。

サッカー日本代表の「なぜ」

4年に1度の祭典であるはずだが今ひとつ盛り上がりに欠けている、などとサッカー協会やマスコミは首を傾げる。

もはや苦笑しか出てこない。

なぜわからないのか、と言い出すと色々疑問点が出てきてしまうので備忘録的に日本の最大の「なぜ」を残しておく。

それはもちろん例のあの言葉についてである。

なぜ「自分たちのサッカー」に固執するのか

ハリルホジッチ解任後から再びトレンドに浮上した「自分たちのサッカー」という単語。4年前に封印されたパンドラの箱である。

一応具体化しておくと「ボールを保持しパスをテンポよく回しエリア内でも崩しきる攻撃的サッカー」というところか。

田嶋会長や本田圭佑曰く「これが日本人に合っている」らしい。また「自分たちのサッカーが出来れば強豪相手にいい試合ができる」と。

ここに疑問を感じる。

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(JFAより)田嶋幸三日本サッカー協会現会長。早く肩書きが元会長にならないだろうか。

「自分たちのサッカー」に関する答えは4年前に出たのではないか。ブラジルW杯ではザッケローニ監督のもとこのスタイルを貫いた。結果得られた勝点はスコアレスドローの1のみ。

無論コンディションや環境適応力など様々な要因が絡んだ惨敗だったが「自分たちのサッカー」が通用しなかったのは紛れも無い事実である。

さらに今回の相手は前回大敗したコロンビアに加えセネガルとポーランド。申し訳ないがギリシャ、コートジボワールを上回る相手と見て間違いない。

なぜ4年前に通用しないとわかった戦術で今回も突っ込むのか。

昨日砂糖とめんつゆと豆板醤をご飯にかけたらマズイとわかった。でも今日作ったらおいしいかも!

アホなのか。

しかもどうやら砂糖とめんつゆと豆板醤は前より品質が悪くなっているらしい。

アホなのか。

ではなぜ彼らはそこまで「自分たちのサッカー」に固執してしまうのだろうか。

見てしまった希望

「自分たちのサッカー」の根源がザッケローニ体制にあるのは言うまでもない。

日本代表は岡田武史監督のもと挑んだ2010南アフリカW杯では超守備的戦術で結果を残した。

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(ゲキサカより)岡田武史元日本代表監督。守備的戦術で2010南アフリカW杯でベスト16に進出。

しかしそれではもう一歩上にはいけない、と感じて日本は攻撃的サッカーにシフトした。招聘されたザッケローニ監督は4-2-3-1をベースに当時全盛期のメンバーを操り世界の強豪と互角、あるいはそれ以上の戦いを繰り広げた。

アジアカップでは苦しい試合を乗り越え、時には打ち合いを制し頂点へ上り詰めた。国内組を率いた東アジアカップ制覇も加えれば輝かしい功績だ。

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ザックジャパン基本メンバー。清武弘嗣やハーフナーマイクも活躍した。

「自分たちのサッカー」を推進したがる者は当時の記憶が焼き付いているのだろう。特にザックジャパンは強豪相手の「ジャイアントキリング」やあと一歩に迫る試合を起こし続けた。

vsアルゼンチン◯1-0 

vsフランス◯1-0

vsイタリア●3-4

vsオランダ△2-2

vsベルギー◯3-2

その他にもアジアのライバル、韓国やヨルダン相手に大勝を演じ、またアジア杯決勝の李忠成のウイニングボレーは語り草だ。

このあたりの試合は見ている側にとってもエキサイティングであり、かつ世界と互角に渡り合う実感も得られた。これならW杯も行ける!と希望を抱いた。本田圭佑の言う「W杯優勝」は無理でもベスト4程度なら、と期待を寄せた。

ところが、結果は惨敗であった。

本当に「自分たちのサッカー」は通用していたのか

前述の試合で日本は10得点を欧州強豪からあげている。見事な数字だ。

しかし振り返って見なければならない。それが本当に「自分たちのサッカー」、すなわち「テンポの良いパスワーク」から生まれたものなのかということなのかどうかを。

もちろん得点シーンのみをあげるのは浅いという指摘も頷ける。ただし、一応「得点=攻撃の成功」ということで理解してもらいたい。

まずはアルゼンチン戦ではあるがこれは計りづらい。というのもこの試合はザッケローニ監督の初陣である。戦術どうこうの段階ではないのは明白だ。また得点も長谷部誠のミドルシュートのこぼれ球を岡崎慎司が押し込む形であり、(もちろん素晴らしいのだが)一般化はできない。

よって考えるべきはフランス戦からであろう。

強豪フランスのホームに乗り込んだ一戦は後半43分にあげた香川真司の得点で日本が勝利する。

しかしその形に注視したい。得点はフランスのCKのカウンターから今野泰幸が中央を突破。右に開いた長友佑都がパスを受け折り返し、中央の香川が押し込むという美しいカウンターであった。

この試合で日本は終始攻め続けられ、スタッツはシュート数21-5でフランスが圧倒。川島永嗣のビッグセーブ連発がなければ大敗も十分あり得た試合だった。

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(サッカーキングより)中央は決勝点を挙げた香川。起点となった今野が抱擁する。

次にコンフェデ杯イタリア戦である。

得点は本田圭佑(PK)、香川真司、岡崎慎司が記録している。

本田のPKはイタリアのバックパスが短くなったところに岡崎が詰め、ジャンルイジ・ブッフォンの微妙ではありながらファールを誘って得たものである。

香川はセットプレーの流れから振り向きざまの左足ボレーで名手ブッフォンを棒立ちにしている。

岡崎の得点は遠藤のFKに得意のヘディングで合わせた形である。

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(日経より)ボレーシュートを決めた香川。

次はオランダ戦。得点者は大迫勇也と本田圭佑。

大迫は敵陣で奪ったボールを貰った長谷部のパスを受けワンタッチでゴールに流し込んでいる。

本田の得点は遠藤の大きな展開から始まる。サイドチェンジを受けた内田篤人→岡崎慎司→本田圭佑→内田→大迫→本田と美しいワンタッチのパスワークでオランダ相手に同点ゴールを叩き込んでいる。

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(スポニチより)共にゴールを挙げた本田とアリエン・ロッベン

次はその数日後に行われたベルギー戦。アウェーに乗り込んだ日本代表は柿谷曜一朗、本田圭佑、岡崎慎司がゴールを奪っている。

柿谷は裏を取った酒井の高精度クロスにヘディングで、本田は香川と遠藤のコンビネーションからパスを受け右足で、岡崎は前に出た長谷部が入れた楔を柿谷が浮かしそれをダイレクトで、という形でそれぞれゴールを奪っている。

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(時事ドットコムより)殊勲のゴールを奪った岡崎、本田、柿谷の3人

言うまでもないだろう。ポゼッションとパスワークを志向していたザックジャパンで実は日本が欧州強豪から奪った得点の中で「自分たちのサッカー」が直接的に関わった得点は非常に少ないのである。

むしろカウンターやセットプレーが目立つ。振り返った9得点のうち本田のPKも含めれば3点がカウンター、3点が遅攻、2点がセットプレー(崩れ)、1点がクロスからである。

ちなみにこの事実は日本特有の南米勢への苦手意識にもつながっているかもしれない。足元の技術があり駆け引きもうまいため、中盤でのボール奪取が難しい。「得意の」カウンターが出せないのだ。

現メンバーと「自分たちのサッカー」

前項では焦点を当てなかったが見事なパスワークで3点取っているのも事実である。特にオランダ戦で見せた流麗なティキタカは見る者を魅了した。そしてこの得点こそ「自分たちのサッカー」推進者の最大の後ろ盾である。

しかし今のメンバーをよく見て欲しい。オランダ戦の得点の始点となった遠藤保仁もインナーラップを含む2度のタッチで崩しの起点になった内田篤人もいない。

共に格段に優れた身体能力やフィジカルがあるわけではない。だがそれを補って余りある基礎技術やサッカーIQを持ち、代表選手の中ですらそれらはずば抜けていた。また遠藤はベルギー戦での崩しの中心でもあり、本田の得点をアシストしている。

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(ガンバ大阪公式より)遠藤保仁元日本代表。国際Aマッチ152試合出場は日本歴代最多。

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(サッカーキングより)内田篤人元日本代表。CLベスト4入りなど経験値は屈指。

だが今のメンバーを見ていると遠藤や内田のようなクレバーな選手は正直見受けられない。もちろん内田の後釜の酒井宏樹には屈強なフィジカルが、遠藤の後継者たる柴崎岳には両足での得点力がある。彼らには彼らの武器があり、貶す訳では決してない。

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(サッカーキングより)内田の後に代表で安定感あるプレーを見せるマルセイユの酒井宏樹

ただ「自分たちのサッカー」をやるうえで必要不可欠だったピース、またはその代役すらいない状況で試みるのはいささか無謀ではないかということだ。

始点となる出発所も繋ぎ役を担うバスもないまま岡崎、本田、大迫という停留所だけポツンポツンと置いてあるのが現状だ。無論それがいかにゴールという終点まで遠いかは言うまでもない。最近の無得点試合、「攻撃の組み立てが出来ていない」という指摘も当然である。

ハリルホジッチ元監督は内田の後釜に酒井宏樹を、遠藤のポジションには井手口陽介を置いた。もちろん彼らの成長、調子、チームでの序列もあるが、そのチョイスが勝利に最も近いと捉えたのだろう。

興味深いのは右SBと異なりある程度選択肢のあったCMFで対人に強い井手口を起用したことだ。当初のアジアとの対戦こそ大島僚太や柏木陽介など遠藤にタイプの似たゲームメイカーを選んだが、同格以上と見られるオーストラリア戦では井手口を抜擢、以後定着する。

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(サッカーキングより)ハリルチルドレンとして一躍脚光を浴びた井手口陽介。

ここから推察されるのはハリルホジッチ元監督が多少オフェンスのクオリティを失ってでも守備に強い選手を使うことが勝利に近いと考えていたことだ。

それはすなわち現メンバーでの「自分たちのサッカー」の放棄ではないか。今のメンバーなら堅守速攻がベスト、そのような考えが透けて見える。

代表とは

一見代表チームはクラブと違い無限の選択肢から選手を選べるように思える。しかし現実は違う。マンチェスターシティのペップ・グアルディオラが自身のポゼッションサッカー実現のために大金を使う(しかない)のは恒例だ。

ある程度の取捨選択が可能とはいえ、原則は今調子がいい選手を軸に組み立てるのが代表チームである以上、メンバーの特徴にあったサッカーをするべきではないか。

そしてなにより、今の日本代表のメンバーに「自分たちのサッカー」は向いていない。

もう視聴者は素人ではない

ハリルホジッチ元監督時代には低視聴率だった、と言われる。それゆえスポンサーの不満が溜まり解任につながったと言う説もまことしやかに囁かれている。

確かにハリル元監督が志向したサッカーは美しいパスワークを披露したり5点も6点も常に狙うサッカーではなかった。ザック時代の日本代表戦は「お祭り」であり視聴率も良かったことを踏まえると、やってるサッカーの差と考えたくなったのだろう。

だが本当にそうであろうか。攻撃的な「自分たちのサッカー」でないと視聴者は認めないのだろうか。

戦う姿勢とサポーター

湘南ベルマーレというチームがある。

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(湘南ベルマーレ公式より)チームカラーの緑のユニフォームを纏う

湘南サポーターには申し訳ないが成績は決してよくない。ここ数年はJ1とJ2を行ったり来たりするエレベーターチームだ。

それでも曹貴裁(チョウキジェ)政権は7年目を数える。降格時にも続投は早々に決まり、サポーターからの(不満はあるだろうが)信頼も厚い。

曹体制のもとベルマーレが撤退するのは豊富な運動量と走力で圧倒し、球際に食らいつく「湘南スタイル」だ。ボールを支配し小気味よいパスを回すスタイルの正反対に位置する。言ってしまえばそれが彼らの「自分たちのサッカー」なのだ。

だがそんな「美しさ」とはかけ離れたフットボールにもサポーターは拍手を送り声を枯らしスタジアムを揺らす。決して技術的には優れていると言えない選手たちを勇気づける。

まさに「デュエル」に立ち向かう緑の戦士たちの背中を押すかのように。

これでいい、と自らが応援するチームの「美しき」サッカーを誇るように。

プロリーグができて20年、欧州に羽ばたく選手も増え、世界基準は少しずつだが身近になってきた。

もう視聴者は気づき始めている。パスワークだけが美しいわけではないと。走り、戦い、耐える。そんな一見美しさとは無縁のフットボールにも素晴らしさはあるのだと。むしろスマートさよりもアスリートとして挑むその姿にこそ心を熱くされるのだと。

運と閃きに頼る芸術的な攻撃的サッカーしかサポーターが受け入れられないような時代はもうとっくに終わったのである。

幻想の先に未来はあるか?

長々と述べてきたがまとめると

  • 実は「自分たちのサッカー」は通用していたと言い切れない
  • またその中核を担う選手がいないため今の代表には適用できない。
  • サポーターは「自分たちのサッカー」でなくても応援する。

ということである。

では一体何を目指すべきなのか。何を参考にするべきなのか。ザッケローニ体制のオランダ戦か?ハリルホジッチ体制のオーストラリア戦か?

個人的意見ではあるがザッケローニ体制もハリルホジッチ体制も無駄ではなかったと思う。どちらのサッカーからも学ぶことはたくさんあったはずだ。

残念ながら短時間で4年前の幻想を追い求めるロシアW杯に期待は出来ないが、幸い中島翔哉や堂安律といった期待の若手もブレイクしつつある。

この大会が終わった後にこれまでの経験や反省とこれからの選手たちを踏まえた一手を打ってもらいたい。

攻撃的だの守備的だの0か100か、白か黒かのような思考は捨てるべきだ。アジアでは強く世界では弱い日本にそんな考えは向いていない。

そのうえサッカーは相手あってのスポーツである。相手によってベースとなる戦術は一定としながらも戦略を変えることはどの強豪チームもやっている。

そのうえでもしも日本代表が目指すべきものがあるのだとするならば、もしも我々の辿り着くべきサッカーがあるのだとすれば、それは安易な二者択一を越えた先にあるはずだ。

2010年から繰り返される日本サッカーの歴史は今回のドタバタに象徴される方針転換の歴史と言ってもいい。だがそれを極限までポジティブに捉えるならば、短期間で多くのサッカーに触れたとも解釈できる。

これまでの歴史を折衷したハイブリッドな戦い方こそ、我々が目指すべき本当の【自分たちのサッカー】なのではないか。

〜おしまい〜

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